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大会テーマ「安心・安全なまちづくりと地域の絆づくり」
~災害に備えた地域の絆づくりが提案される~ |
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平成27年度全道町内会活動研究大会が、去る5月26日、札幌市かでる2.7において、道内各地より約290名の参加を得て、開催されました。
大会は、表彰、基調説明、講演の内容で行われました。講演は、ジャーナリストの外岡秀俊氏を講師に招き、「災害から学ぶ安心・安全なまちづくり~つなげよう地域の絆」をテーマにお話いただきました。
大会席上、北海道町内会連合会表彰と町内会・自治会広報コンクールの表彰式が執り行われ、47組織79名の方々が表彰を受けられ、受賞者を代表して、名寄市の中村雅光さんが謝辞を述べられました。
以下、講演の概要をご紹介します。
講演「災害から学ぶ安心・安全なまちづくり~つなげよう地域の絆」
講師 外岡 秀俊 氏(ジャーナリスト・北海道大学公共政策大学院研究員) |
私は札幌に生まれ、東京の大学を卒業後、新聞社に入社し、東京や海外で勤務してきました。2011年3月で新聞社を退社するため送別会が続くなか、東日本大震災が突然襲いました。私は、阪神大震災で1年間神戸を中心に取材をした経験があったため、会社に「君の最後の仕事はもう1回現地に行くことだ」と言われ、ジェット機で羽田を出ました。悲惨な状況に一言も喋れない状態で1時間ほど上空から被災地を眺めた後、翌日から1週間にわたって現地を見て回りました。これがきっかけで今でも被災地へ通っています。
東日本大震災は、極めて大規模で広域な被害だったうえに、地震、大津波、火災、原発事故、風評被害が重なったので、私は、震災の全容をまとめた自著のタイトルを「3・11複合被災」としました。震災から4年になりますが、まだまだその爪跡が残っており、被災地の多くの場所がまだ更地で、住民がまちに戻れない状態が続いています。
右の写真は気仙沼市の様子です。車がひっくり返り、瓦礫が散乱しています。地元のおばあちゃんは「戦争より酷い」と言っていました。宮古市では、川の両側の民家がほとんどなくなっている地域がありました。津波は、海辺だけに波が押し寄せると思われがちですが、海から上流数キロにわたって川を逆流し、車を運び、船を運び、いたるところで川が氾濫していました。海岸から離れたから安心ではありません。川の両側も警戒しないと水にさらわれることがあります。
東日本大震災では、家に残っている高齢者を助けに行こうとして、または、保育園や小学校に子どもの安否を尋ねに車で向かい、車内で亡くなった方が多かったようです。阪神大震災は3連休後の未明に起きたので、ほとんどの方が自宅に居ましたが、東日本大震災のように日中に起きると、家族が外出していたためお互い連絡が取れず、安否が分からない状況が数日続いた場合もありました。災害があったら、学校の体育館に集まろう等、普段から家族で決めておくと、連絡が取れる確率がとても高くなります。また、携帯で連絡を取る約束をしていても、災害時はつながらないことが多く、メールも不通になることがあります。そういう時のために、遠くにいる親戚に連絡をし、自分達の安否と居場所を伝言する等、代わりの連絡手段を確保しておく必要があります。
東日本大震災から2年後の被災地では、瓦礫は片付いても住民は仮設住宅暮らしで、建物はほとんど無い状況でした。「2年も経ったのに」と私が言うと、「2年でようやくここまできたんですよ」と言われ、被災地とそうではない地域との温度差に気づかされました。
また、被災地のある高校生が、「この津波を忘れないための像を石や金属ではなくて木で作りたい」と言ったそうです。なぜ木かと尋ねると「木だといずれ腐食するから作り直さなければならない。その時に後輩達は、きっと今回の津波のことを思い出すから」と答えました。いかに災害の記憶が儚いものかを理解した素晴らしい話だと思います。
福島県では11万人を超える人が今でも避難生活をしています。うち4万5千人が県外避難で、北海道にも福島県の方が約3千人避難しています。避難地区ではなくても、放射能を心配した母親が子どもを連れて避難している場合もあり、父親は福島県に職があるので分かれて暮らすという大変心細い状態が続いています。
震災発生4年目に、釜石市の復興支援住宅を見に行きました。車がないと生活できない立地で、車の運転ができない高齢者が入居したら、買い物にすら行けなくなります。北海道で災害があった場合も同じことが確実に起きるため、高齢者がどこに避難するのかは、とても深刻な問題になります。
住民は、災害が起きると近くの学校等に避難し、顔見知りが多いなかで生活しますが、仮設住宅は、原則抽選順に入居するため、全く人間関係がない状態になります。仮設住宅の期間は2年で、ようやく人間関係ができた頃に復興住宅へ転居となり、再びバラバラになってしまいます。仮設住宅で暮らす高齢者が「せっかく知り合った人達と別れるのが辛い」「復興住宅に入りたくない」と言うのはそのためです。自分の地域で災害が起きたら、どのように地域のコミュニティを維持していくかが問われます。
過去の災害を振り返ると、関東大震災は昼近くに起きたため、煮炊きで火を使っている方が多く、犠牲者の9割近くが火災による焼死。阪神大震災は都市直下型で、3連休明けの未明のため寝ている方が多く、住宅が潰れ圧死した方が8割。東日本大震災では、津波による溺死が9割以上でした。このように、災害が起きる場所、季節、時刻によって、被害状況が全く異なりますので、災害に備えても思わぬところで死角をつかれます。そのため、ほとんどの場合が想定外となりますが、逆に言うと、想定外のことが立て続けに起きるのが災害だと考えるべきです。
ノンフィクションライターの柳田邦男氏が、災害は意地悪爺さんだと言っています。どんなに備えたつもりでも災害は弱いところを攻撃してくるので、備えを尽くしてもこれで安心ということはないということです。ここで、私達にもできる災害への具体的な備えをいくつか紹介します。
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避難で足をケガしないよう枕元にスリッパを備える。 |
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断水に備え風呂の湯を溜めておく。 |
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眼鏡や薬等の必需品の予備を用意する。 |
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家が倒壊することも想定し、防災グッズは家の中だけではなく、物置等にも置いておく。 |
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室内家具(特に本棚)の転倒を予防する。 |
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最低3日分の食料は地域に備えておく。例えば、いざという時に物資を放出してもらう約束を地元の商店と町内会が結んでおく。 |
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地域で災害マップを作り、避難路、警察、消防、病院、重機等の場所を普段から把握しておく。 |
私は、新聞社を退社し、40年ぶりに札幌へ戻ってきました。現在の札幌の人口は194万人で40年前の倍近くになっていますが、北海道全体の人口はあまり変化がなく、ほとんどの地方都市で人口が減っています。道民人口は95年の569万がピークで、今では道民の3分の1が札幌に住んでいる計算になります。しかし、札幌の人口も今年がピークで来年以降は緩やかに減少し、北海道の人口は更に減っていきます。札幌を含め北海道で急速な高齢化が進むということです。
日本創成会議の「増田レポート」が昨年話題になりました。人口減少により、全国896ある自治体のうち、半分の自治体が将来消滅する可能性があるという内容です。これによると、2040年までは老年人口が増え若い人が減る少子高齢化で、2060年以降は老年人口も減っていきます。少子化が進み、産科、小児科、幼稚園、学校等の医療・教育機関が地域から無くなると、若いお母さん達は地方の中核都市に行くしかなく、中核都市からも医療・教育機関が無くなると次は大都市に行くしかありません。そういう循環が道内で既に起きていますし、高校が統廃合され、若者が都市に出て故郷に戻らない状況も起きています。
少子高齢化が深刻になると地域の防災力が弱まるので、自分達に何ができるかを考える必要があります。札幌市琴似地区での講演後に「高層マンションが停電すると、昇り降りができず、水洗トイレも使えなくなる。そういう時はどうしたらよいか」と質問を受け、「普段から、地元の中学校や高校のクラブ活動を応援し、大会があったら応援に行って差し入れし、交流を深めておく。そして、災害時には、部員全員が階段に並んで、バケツリレーのように水を渡してもらうようにお願いしてはどうでしょう」と答えました。地域の子ども達を防災活動に参加させることはとても有益です。彼らが大きくなった時に、必ずそれを次の世代に伝えていくはずで、これは、まちづくりにおいてとても大事なコツです。また、普段からの近所付き合いが防災に役立ちます。例えば、地域住民の交流会に参加して顔見知りになっておけば、「ああ、誰々さんの地域がやられたから、ボランティアを募って助けに行こう」となります。あらゆる人脈で近所付き合いを普段からしておくと、災害時にそれが自分の役に立ち、自分も誰かの役に立てます。このように普段の付き合いが、防災につながっていくということを伝えていきたいと思います。
(文責 事務局)
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