平成16年度全道町内会活動研究大会は、平成16年6月3日、札幌市かでる2.7において、道内各地より約260名の参加を得て、開催されました。
 大会に先立ち、北海道町内会連合会長表彰式が行われ、36組織、52名の方々が、町内会活動の功績に対する表彰を受けられました。
 研究大会は、基調説明、講演の内容で行われ、講演は、山田孝夫氏(構造改革特別区域推進本部評価委員会委員・前東川町長)を講師に招き、「元気なまちづくりは住民パワーから」をテーマにお話いただきました。以下、概要をご紹介します。


講演 「元気なまちづくりは住民パワーから」
講師 山田 孝夫 氏 (構造改革特別区域推進本部評価委員会委員・前東川町長)

 今、住民自治組織の多くは町内会・自治会と表現されています。しかし、私の住む東川町では、年配の方は未だに部落と言います。ある時期から差別用語ということで、農村部で親しみを込めて使っていた部落という表現はなくなりました。同時に人間関係も希薄になったのではないかと思う昨今です。
●町内会と自治体の歩み
 かつて、江戸時代の集落は75,000程あり、人口は3,000万人でした。1集落あたりの人口は400人で強い絆で結ばれ、町内会の役割を果たしていたのだと思います。
 その後、明治の大合併(明治21〜22年)では小学校の範囲に、昭和の大合併(昭和28〜36年)では中学校の範囲で1校当たり8,000人程度の町にという大義名分の合併が行われました。
 戦中、町内会等の自助・互助的組織は、軍国主義の下部組織として強く統制されましたが、戦後、昭和22年に地方自治法が施行され、市町村の事務分掌は支所か出張所に限定され、町内会としての関与が禁止されました。しかし、戦後の混乱期の中、病人や火災が出ると互いに助けあう町内会組織が存続しけなれば、行政は機能しなかったのが現実でした。
●地方分権推進法の制定から推進委員会の報告まで
 昭和40年代に革新首長が横浜市や旭川市で選出され、「中央集権は民主主義と言えるのか、北海道から沖縄まで全国画一の行政システムで問題はないのか」と声をあげたのが、地方の時代の始まりでした。その後、地方分権推進法(平成7年)が制定され、地方分権推進委員会第1次勧告(平成8年)により、国が縛りつけていた機関委任事務の廃止で、日本も変わると期待しましたが、第5次勧告(平成10年)では、公共事業への切り込みにつまずき、第6次勧告はできずに、最終報告(平成13年)で委員会は終わりました。報告書の巻末で、西尾勝委員の「我々は6年間頑張ったが、ベースキャンプを張ることは出来ても、登山は出来なかった。(基礎は作ったが、改革は出来なかったの意)」という無念さの綴りを読み、震えるほど感動しました。私は「登山は誰がするの?国がいいと言うまで待つの?」と自問自答し、「登山するのは自分だ。でなければ日本を変えることはできない。」と思い、特区構想の「幼稚園と保育園の一元化」に取り組んだのです。
●構造改革特区の導入が決定されて
 自治体や民間事業者の自発的な立案で地域の特性に応じた規制の特例を導入する「構造改革特区」が平成14年に閣議決定され、現在、全国から1,700件の提案が出されています。北海道は全国で2番目に多く、一番多いのが長野県です。私が提案した「東川町の幼保一元化」にも認定がおりました。
●地域の自主的な組織は縦糸に、町内会は横糸に
 旭川市の町内会未加入世帯は2割あるそうですが、最近、教育大学の学生が痴漢防止のため、地域パトロールを始めたそうです。今までにない一つの芽だと思います。
 民生委員児童委員やNPOなどの組織、学生が地域を守ろうという自主的な動きを縦糸にして、町内会活動を横糸にして一つの地域を守っていくことは、これから大事ではないかと思います。
 昔と違って人生80年の時代ですから、余力があれば、どんどん地域活動に参加して、一緒に地域づくりをすすめていきましょう。(文責:事務局)


講師の山田孝夫氏は、内閣官房構造改革特区推進室における評価委員会委員の一般公募300名の中から、論文等による書類選考及び鴻池大臣による面接で、選ばれた3名の委員のうちのおひとりです。